docomo 大和の調べによれば、・・・男性の交換手は誕生からわずか10年余で、その歴史の幕をおろす。
男性交換手は「モシモシ」ではなく「オイオイ」と応対したそうです。
電話応対はやはり女性のほうがよろしいということになったわけです。
ちなみに、この男性交換手のなかに、かの『大菩薩峠』の作者、中里介山がいたといいます。
さて、交換室のなかの彼女たちは、白天竺木綿の上着にはかまをつけ、白たびに草履という姿だった。
上着は作業しやすいように、袖口がくくってあり、そこに階級別に色分けした細いリボンをつけ、また監督以上には一見してわかるように、肩から脇へ、書記補以上は紫色、主事補は水色の組紐の階級章をつけていました。
その姿はなかなかに凛々しく、制服姿を見て「うちの伜の嫁に・・・」などという話もままあったらしい。
しかし、四季をつうじて同じ服装で、夏でも白たびを必ずはいていた彼女たちには、冷房のない当時、つらいことも多かったようです。