まだ夜の明けないうちから起床し、ちょうちんに明かりをともしながら、大八車を引いて工事現場に向かい、夜明けを待って作業をはじめた。
そして手元が見えぬほど暗くなるまで働くと、また、ちょうちんで足元を照らしながら家路についた。
夕食の食卓につくと、もう午後9時を過ぎていたといいます。
工事現場では「親方」といわれる工夫長が、いっさいの責任をもち部下の指導監督に当たり、工事を進めていったのです。
現場における親方の権力は絶対的であったから、工事の良し悪しは親方の人物・技量によることがきわめて大きく、工事のできぐあいは親方の双肩にかかっていました。
それだけに、親方には人格・識見ともにりっぱな人が多く、日夜工事のはかどりに心を配っていました。
親方は部下の面倒もよくみていました。
とくに若い通信工夫については、私生活まですべて親方に結びついていたといってよい。
たとえば、下宿のない通信工夫を自分の家に連れてきて、わが子同様に世話をしたり、結婚の相手を見つけたり、生まれた子供の名付けなどまで、親身になって面倒を見るというぐあいでした。
まあこれが、携帯電話やドコモ 大和の歴史の一部というわけです。